2018年1月に日本を経ち、2年間過ごし2020年1月に日本に帰国。
帰国してから8ヶ月が経ってもなお、「タンザニアに帰りたい」と思う気持ちは薄れません。
ただタンザニアで生活がしたいとか、仕事がしたいとか、そういう訳ではありません。
「帰る場所がある」だから、帰りたい。もう一つの故郷という感じでしょうか。
タンザニアをそんな「帰る場所」にしてくれたのが、あるタンザニア人家族です。
週末は必ずと言っていいほどに、お家に招待されご飯をご馳走になっていました。
2週間会わないと「大丈夫?」と連絡が来るほどに、習慣化されていたほど。
最初は旦那さんと二人で飲みに行く程度だったのが、家に招待され、
奥さんを紹介され、子どもを紹介され、母親と叔父叔母を紹介され、
地元の後輩を紹介され、、、その交流の場がどんどん広がりました。
彼らの子どもと手を繋いで街を歩いたり、
市場に行くついでに彼らの分も買っていったり、
どこか旅行の帰りには何かしらのお土産を買って行ったり、
彼らの仕事を手伝ったり、、、、
生活の一部には必ず彼らがいた気がします。
「会話は全てスワヒリ語なので、語学の壁やストレスを感じるんじゃないの?」
「僕以外は全員黒人で居心地悪くないの??」
そう思われるかもしれませんが、そんなことは微塵もなかった。
僕にとっても彼らが昔からの友人であったかのような、
なんなら、自分も家族の一員なんじゃないか、と思えるほどに自然でした。
なんなら、彼らと過ごすことで僕は間違いなく癒されていました。まさに家だった。
余談ですが、彼らが飼っていた犬が子犬を産みました。
その中で特に僕に懐いていた2匹の名は「HOSOYA」と「RYOTA」。
そう、僕の名前を彼らにつけたのです笑笑
これから、僕を支えたこの家族について紹介していきますので、是非ご覧ください。
※写真は日頃の恩返し、カレーを振る舞った時のものです。